■ 擁 壁 ■
擁壁(ようへき)とは島の中央にそそり立つ元来の岩礁部
分の崩落や崩壊を防いだり、また急峻な岩の斜面に建築物を
建てるための平坦地を造成するために築く壁状のもので、明
治期にはこれが盛んに作られ、現在でも島内の至る所に残存
しています。
擁壁造りには石積みの工法がとられ、砂岩である天草石を
天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤で接合して行われていま
したが、この擁壁がこの島ならではの独特な景観を生み出し
ています。
右画像は南寄りの内陸部(下俯瞰図▼印近辺)に築かれた
高い石積みですが、この位置は元来岩礁だった場所にあたる
ので、この石積みは護岸ではなく擁壁だったと思われます。
かつて9号棟、10号棟と呼ばれた鉱員社宅の建立地(閉山
時は児童遊園地)のためのものです。
やがてコンクリートの普及により、後期はコンクリの擁壁
が作られるようになり、鉱業所側岩盤の中腹あたりに造られ
■ 堤 防 ■
端島の拡張とそれに伴う護岸造りは、擁壁と同じ天川による石積
みの工法で明治以降たえまなく続けられましたが、それは本来の岩
盤や周囲の岩礁の配置を考慮して行われてきました。明治の晩年に
はほぼ現在の島の形に近づいていますが、それ以前の堤防跡は島内
の至る所に残存しています。
普通護岸を拡張する場合、以前の護岸は解体されてから新しい護
岸が作られると思われがちですが、端島の場合は古い護岸をそのま
ま残しつつ新しい護岸を作っては拡張され、内陸に残った旧護岸は
上述の擁壁の役割に転嫁されることになりました。
右画像は島のほぼ中央の高台(20号棟と21号棟の間・下俯瞰
図◆印近辺)に見える旧護岸跡です。
コンクリートの使用が一般的になると、擁壁同様護岸にもコンク リートを使うようになり、以降閉山まで旧来の護岸のまわりをコン クリートで包むようなかたちで新しい護岸の補修・工事が行われま した。従って厚みが増すことになり、場所によっては堤防上部の幅 が3m以上のところもあり、その高さも高いところでは海底から1 4mを越す所もあるほどです。
島内や外周の新護岸のコンクリートがはげ落ちたところからは、
石積みの旧護岸が露出しています(下俯瞰図■印近辺)。
また操業当時にメインの船着場だったドルフィン桟橋近辺など、
今でも旧護岸のままの所もあります。
因みに画像の部分は平成16年(2005)の修復工事によって
きれいに修復されました。
画像は外海側南端寄り(30号棟、31号棟近辺・下俯瞰図★印
近辺)の護岸ですが、閉山後の平成3年(1991)の大型台風に
よって決壊した場所を修復した跡です。この時の台風は規模も大き
く、ここ以外に学校横の<すべり>と呼ばれた船着場(『海の道』
で詳細解説)近辺も決壊し、またそれまで残存していた島内唯一の
映画館が崩壊してしまったのもこの台風の時でした。
元来この場所はその堤防の形から波浪の影響を受けやすいのか、
操業時の昭和31年(1956)9号台風の時にも決壊し、甚大な
爪痕を残した場所でした。