岸壁に当たって高く舞い上がる波しぶきは、高さ12mもある堤防はおろか、45m以上ある島の最頂部をも越えて、内海側の鉱業所へ 降り注いだともいわれます。これらの波浪に対して考え出されたのが、建物の持つ様々な防潮装置です。通常の都市部は勿論、一般の島の 居住の場合でも、この島ほど岸壁に接近して高層建築を造る事はまれなため、これらの発想はかなり端島独自のものだと言えます。

■ 防潮棟 ■


  防潮棟とは、建物自体をひとつの壁と考えて波浪を緩和させよう とする荒技の発想です。堤防に沿って壁の様に建つ建物(特に31 号棟、48号棟(画像手前右)、51号棟(画像手前左)の3棟) は、建物自体が防波壁の役割を兼用し、押し寄せる波浪の第一衝撃 を緩和しました。基本的には海側を廊下にする事で少しでも被害を 少なくしていますが、後期に建てられた建物(51号棟)は、波浪 以外の時の外海の開放感を満喫できるよう海側に部屋が造られてい ます。ただその分被害回避の対策として室内ベランダを設け、窓は より小さい造りになっています。
  またそれ以外にも堤防に対して直角に建造する事で波浪被害を回 避したり(59号棟〜61号棟)、海側にトイレを造りなるべく窓 数を少なくしたり(66号棟)とさまざまな工夫が施されました。


 

■ 防潮階 ■


  防潮階とは建物の一階部分を島内に流れ込んだ海水の<はけ階> にする造りの事で、大正7年(1921)築の日給社宅や昭和36 年(1961)築の51号棟等にこの技術が採用されています。
  これらの防潮階は、戦前は強制労働者のたこ部屋として使われて いたとも聞きますが、戦後は商店等に転用されるようになります。 また防潮階のように1階分の高さをとらず、1mないし2m位の高 床で防潮対策を施した建物もあります。画像はちょうど防潮階(右 下・日給社宅)と高床(左下・59号棟)が同時にみられる場所で す。また派出所のあった建物(21号棟)の高床は特に高く設計さ れているため、1階室内にあった留置用の木製檻(『ナノシティ』 で詳細説明)がいまでも波浪に流されることなく、綺麗に残ってい ます。


 

■ それ以外の防潮装置 ■


  防潮の対策として顕著な上記の2例以外にも、様々な防潮の工夫 が各建物の中に施されていました。
  日本最古のRCアパートである30号棟は、口字型にして居室の

入口や階段を総て内側に設置することで、防潮の対策にしています。

  また建物内の廊下の要所々々に厚い扉を設置する事で波浪の進入 に対処した防潮扉(画像右)や、地下室への入口の周囲に防潮用の 板を落とし込んで完全に海水の進入を防ぐ装置(画像下右)などな どの工夫が施されました。
  防潮用の扉や板は潮害を考慮して殆ど木製でした。一部金属製の ものもありましたが、その殆どは崩れてしまって、かろうじて建物 内にあるものだけが残っている状態です。(画像下左)


日給社宅の大廊下と居室棟の間に設置された木製防潮扉



65号棟の階段踊り場と廊下の間に設置された鉄製防潮扉


65号棟地下階段の入り口に設置された防潮板の落とし溝

  そしてこれら様々な防潮のしくみを取り入れた住宅棟群は、実はその総てが内海側にある鉱業所を波浪から守るための防潮の役割も兼ねて いました。本来人の住む場所は、なるべく災害の少ない所、安全なところと考えるのが基本ですが、この島ではその発想は逆転して、まさに 身をもって仕事場を守るという造りになっています。

 
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