RCと木造の合体、そして張出廊下な どのそれまでの建築によって行われてき た試行錯誤は、やがて<報国寮>と呼ば れた島内最大の建物(65号棟)によっ
て壮麗な形で実を結ぶことになりました。 鉄筋と木造の利点を単に合体させたり、
生活周りだけ木造にするといった従来の
表面的な折衷ではなく、RCという西洋
の方法を使いながらその素材で張出テラ
スを造ることによって<軒先と縁側>と
いう日本的な伝統空間の感覚を実現した
のです。
コの字形の建物の5階以上の部分に設
置された水平に連続するテラスが、RC
造にもかかわらず部屋と外とのつなぎ的
な所謂<縁側>の役割を果たし、大正時
代から受け継がれた木製欄干や窓枠と一
体化して強烈な印象を放っています。
しかもこの報国寮(65号棟)は、基本的な工事が第二次大戦終戦の年、昭和20年(1945)に完了しています。当時は完全に軍事下
であり、さらに終戦間近ともなればあらゆる物資が不足していた時代で、終戦をはさんで前後5年の10年間は、一切本格的な建築物は国内
では建設されず、建築の空白時代とまで言われています。そんな中にあって、端島の全歴史を通して最大規模の建物が造られたこと、そして
その建物が日本の近代建築に決定的な足跡を残す物だったことは、いかに石炭産業が国家の手厚い保護のもとに経営されていたかを物語る事
実でもあります。
戦後、丹下健三をはじめ張出廊下や張出テラスの採用によって西洋建築に日本の感覚が定着し始めるのは昭和30年代も後半になってのこ
となので、その10年以上も前に既にこの島では日本独自のRC建築が確立し始まっていたことになります。
65号棟