昭和42年(1967)に住宅棟とし
ては島内で最後に造られた教職員アパー
ト(13号棟)は、あらゆる面でそれま
での島内の建物と異なるものでした。
それまでの建物が総て何らかの箱形を
していたのに比べて、13号棟は雁行型
既に沢山の建物が建てられている中、地
形的な必然によって生まれた結果かもし
れませんが、これにより総ての建物に残
る長屋的な臭いが完全に払拭されること
になりました。
また独立した階段棟を造り、ブリッジ
によって各階へ移動する構造の採用は、
近年の複合住宅に見られる構造で、昭和
42年の時点で実現している点から、こ
の建物も端島の特徴的な建築物の一つと
して考えられます。
13号棟
こうして島内の建物を時間軸で並べてみると、今からみればとても不思議な初期の建築から徐々に現代的な感覚の建物へ変遷しているの
がわかります。そしてこれらの時代を表す建築が総て先駆的なものであり、しかも高名な建築家などによって設計された物ではなく、無名
の設計チームによって成し遂げられていたことに、この島の建築群の特殊性がありますが、しかしこれらのめざましい先駆的足跡はあまり
一般には知られることがありません。歴史において、表舞台の下に隠れた無数の先駆が抹消され、代表的な形が整ったときに始めて記され
るという法則が、わずか数十年前のことにも起こっている実例だと思います。
ところで炭鉱の事を少しでもご存じの方ならば炭鉱の住宅と言えば木造長屋タイプの炭住(たんじゅう)を思い起こされるはずです。勿
論端島にも明治期から大正期にかけては木造の炭住が並んでいましたが、面積の狭さと過酷な自然条件の両面から、RCアパートへ造り替
えられていき、最終的には殆どの建物がRC造になりました。閉山時残存していた木造の宿舎は、高台に建つ鉱長社宅(5号棟)、職員独
身寮(6号棟)、職員クラブハウス(7号棟)とグランド横の教職員宿舎(ちどり荘)だけでした。