築 年
番 号
名 称
構 造
階数(MB=半地下)
付随施設及び*特記事項
大正 5年(1916)
30号棟
下請飯場
RC
7階+MB(一部)
賃金支払い窓口 <1F>、松尾工務店食堂 <4F>
*日本最古の鉄筋RC造アパート
大正 7年(1918)
16号棟
日給社宅
RC
9階
当時
屋上庭園 <R>、洋品(質)・雑貨・書店・電気・外勤詰所 <1F>
大正 7年(1918)
17号棟
日給社宅
RC
9階
国内
屋上庭園 <R>、宝來亭(大衆食堂)・ビリヤード場 <1F>
大正 7年(1918)
18号棟
日給社宅
RC
9階
最高層
屋上庭園 <R>、厚生食堂(大衆食堂) <1F>
大正 8年(1919)
8号棟
職員社宅
RC+木造
3階
共同浴場 <1F> *珍しい鉄筋と木造の合体建築
大正10年(1921)
23号棟
泉福寺
RC+木造
2階
看護婦宿舎(旧女子独身者寮) <1F>
*寺 <2F> は唯一の超宗派仏教寺院
大正11年(1922)
19号棟
日給社宅
RC
9階
弓道場 <R>
大正11年(1922)
20号棟
日給社宅
RC
6階
消防士独身長屋 <R>、食料品店・主婦集会所 <1F>
大正12年(1923)
12号棟
職員社宅
RC+木造
4階
*建築年に関しては詳細不詳 *珍しい鉄筋と木造の合体建築
昭和 2年(1927)
50号棟
昭和館
煉瓦+RC
2階
*映画館兼多目的ホール 平成3年(1991)の台風でほぼ全壊
昭和 6年(1931)
25号棟
職員社宅
RC
5階
白水苑(スナック) <1F>、清風荘(旅館) <2F>、温室 <R>
昭和11年(1936)
1号棟
端島神社
木造
1階
戦没者慰霊碑、忠魂碑 <境内>
*唯一の神社 拝殿は全壊し神殿だけ残存
昭和11年(1936)
6号棟
職員合宿所
木造
2階
*全壊
昭和12年(1937)
11号棟
旧鉱員社宅
木造
2階
*昭和45年(1970)焼失
昭和14年(1939)
56号棟
職員社宅
RC
3階
*島内初の張出廊下を設置
昭和14年(1939)
57号棟
鉱員社宅
RC
6階
商店 <1F> *島内初の張出廊下を設置
昭和15年(1940)
66号棟
鉱員独身寮
RC
4階+B
娯楽室・大食堂・労組事務所<1F>、共同浴場<B>
*別名『啓明寮』離島建築初の地下階
昭和16年(1941)
14号棟
職員社宅
RC
5階
*日本最古の屋上庭園が旧14号棟 (明治晩年築) の屋上にあった
昭和20年(1945)
65号棟
鉱員社宅
RC
9階(一部10階)+B
端島保育園<R>、理容美容室・穀米倉庫・製氷室<B>
*別名『報国寮』島内最大規模
昭和24年(1949)
24号棟
旧鉱員社宅
木造
3階
*昭和48年(1973)焼失
昭和25年(1950)
2号棟
職員社宅
RC
3階+MB
消防器具倉庫 <MBF> *戦後集合住宅のさきがけ
昭和25年(1950)
5号棟
鉱長社宅
木造
2階
*島内唯一の1戸建高級住宅 海底水道開通以前から内湯を設置
昭和25年(1950)
67号棟
鉱員独身寮
RC
4階
集会所・大厨房 <1F>
昭和28年(1953)
7号棟
クラブハウス
木造
3階
*高級職員の集会、社用来島者の宿泊所
(行商等は25号棟の清風荘に宿泊)
昭和28年(1953)
22号棟
公営住宅
RC
5階+MB(一部)
鉄骨1階 <R>、高島町役場端島支所 <1F>、
老人クラブ <MBF> *公務員住宅
昭和28年(1953)
59号棟
鉱員社宅
RC
5階+B
地下
プレハブ1階 <R>、端島購買会 <B>
昭和28年(1953)
60号棟
鉱員社宅
RC
5階+B
で
プレハブ1階 <R>、端島購買会 <B>
昭和28年(1953)
61号棟
鉱員社宅
RC
5階+B
連結
プレハブ1階 <R>、共同浴場 <B>
昭和29年(1954)
21号棟
鉱員社宅
RC
5階
長崎県長崎大浦警察署高島町端島派出所 <1F>
*防潮のため高床の構造
昭和30年(1955)
48号棟
鉱員社宅
RC
5階+B
パチンコホール(昭和46年開業)・麻雀店 <B>
昭和32年(1957)
31号棟
鉱員社宅
RC
6階+B(一部)
プレハブ2階 <R>、端島郵便局 ・理容室 <1F>、共同浴場 <B>
昭和33年(1958)
68号棟
隔離病棟
RC
2階
*赤痢、眼病等の伝染病用隔離病棟
昭和33年(1958)
69号棟
端島病院
RC
4階
手術室・X線撮影室 <1F>、医師看護婦宿舎 <4F>
昭和33年(1958)
70号棟
端島小中学校
RC+鉄骨
7階
技術工作室 <1F>、図書室・音楽室・講堂 <6F>
専門科教室 <7F>
昭和34年(1959)
3号棟
職員社宅
RC
4階+MB
電気室・倉庫(MBF)
*海底水道の開通によりアパートで唯一内風呂を設置
昭和36年(1961)
51号棟
鉱員社宅
RC
9階
洋品店・酒店・電気店 <MBF>
昭和39年(1964)
39号棟
公民館
RC
3階
事務所・図書室 <1F>
*旧47号棟 (木造) 跡地 (昭和31年、台風により全壊)
昭和41年(1966)
26号棟
下請飯場
プレハブ
2階
旧船頭小屋 *島内で最も古くに人が移り住んだ場所
昭和42年(1967)
13号棟
公営住宅
RC
4階
*教職員住宅 島内で最後に建設されたアパート
現代複合住宅の先駆
昭和45年(1970)
71号棟
体育館
RC
2階
格技室 ・給食調理室 <1F>
この他番号が付いていない建物も多数ありましたが、端島病院の隣に建つ「ちどり荘」(築年不詳・木造モルタル・教職員寮)、病院裏の 霊暗所(RC)、鉱業所側の通り沿いの祠 (RC)、貯水槽をのぞくと、殆どが仮設的な木造のもので、既に倒壊してしまっています。 一覧の建物は跡地を含め閉山時に残存していた建築物。灰色文字は閉山30年を迎えた2004年現在殆ど崩壊している建物。橙色文字は
特記事項。職員社宅というのは端島の経営主−三菱の社員の社宅、下請というのは鉱員とは違い、各種の下請け作業をする業者のことです。