■ 地獄段 ■
画像の階段は島のほぼ中央に位置する、最
低地から最高地まで蛇行しながら繋ぐ<地獄
段>と呼ばれる迷路のような階段です。
最下部は端島銀座と呼ばれる島内でもっと
も商店が多く、人通りが激しかった場所に端
を発し、隣接する建物の壁沿いに岩礁へ向か
って進み、その建物の裏手を通り抜け、山通
りと呼ばれる岩礁の高い位置を縦断する道と
一時的に接触しながら、やがて左へ蛇行し、
最終的に岩礁頂上部の神社まで到達します。
島内には学校のグランド以外まとまった土
地がなかったため、この階段は子供達の恰好
の運動場所になっていました。
また山神祭などの行事の祭には、大きな御
輿を担いで神社から一気に下る等、島内の行
事においても重要な役割を果たしました。
画像は地獄段の最下部周辺の様子。中央に
見える階段が地獄段。右側に大正時代築の日
給社宅、階段の上の方に戦前築の57号棟、
その左に戦後築の59号棟が並ぶ、軍艦島の
住宅棟の特徴を最も端的に表す場所と言える
でしょう。
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1. 地獄段最下部
2. ある程度昇ったところから俯瞰
3. 建物の裏に仕込まれた最もハードな場所
4. 小さな踊場を超えて左へ折れ曲がる小階段
5. 右草むら下から日給社宅の最上階へ繋がる
6. 端島神社へ通じる最後の階段
■ 五十段 ■
そそりたつ岩盤の擁壁沿いには<五十段>と呼ばれた一直線の階
段があります。50段あるのでこの名前がついたのだそうですが、
地獄段とは違い上から下まで一気に見渡せるので、長い階段の印象
が鮮烈に残ります。
画像でもわかるように、階段の片側は島内でもかなり規模の大き
い擁壁が築かれていますが、明治から大正にかけては、この擁壁の
上に社立の尋常小学校がありました。
■ その他の階段 ■
上記以外にも島内には大小様々な階段があり、しかもそれらが一
方向ではなくときに上に、時に下にと連絡しているので、ある意味
便利ではありますが、とても複雑な通路の様相になっています。
画像は内海側鉱業所の岩礁中腹を縦断する<山道>と、そこから
岩礁頂上部へ向かう階段。