端島炭鉱の権利を買収した三菱社は、
早速真水の確保のため、明治24年(1
891)に製塩工場を建設し、蒸留水を
配給するための設備を整えました。一応
真水の確保は安定しますが、それでも絶
対量は常に少なかったため、生活雑用水
には海水や雨水などの天水が使用されま
した。
閉山時に第二竪坑があった付近に設置
された蒸留水の給水栓から天秤棒&水桶
で水を持ち帰るのはおもに男子の仕事で
した。
配給量は家族の人数によって決まる<
水券>の発行によって会社側が管理しま
したが、真水の貴重さからこの水券がヤ
ミで売買されたり賞罰に使われもしたそ
うです。
大正初期の頃の給水風景。『軍艦島実測調査資料集』より引用