風呂は高台の頂上に建つ高級職員アパート(3号棟)を除いて、室内にある建物は一つもありませんでした。これは水の確保が大変だっ たことに由来し、殆どの島民は閉山時まで共同浴場を使用していました。鉱員は主に鉱業所に設置された浴場を使用し、その家族や炭鉱従 事者以外は住宅棟地域に設置された4カ所(8号棟、31号棟、61号棟、66号棟)の共同浴場を使用しました。このうちの一つは独身 鉱員の寮(66号棟)の地下にある事と浴槽が一つしかない事から、主にその寮の住民が使用していたと考えられます。また鉱業所に近い 場所にある共同浴場(31号棟)は住宅地域にあるとは言え、その場所柄あまりガラはよくなかったそうです。島民は主に高台の職員アパ
ート(8号棟)と地下購買所横(61号棟)の共同浴場を使用しました。

  浴場の使用は無料でしたが、入浴時間が15:00〜20:00と短く定められていました。昭和37年の長崎新聞によると、鉱員数1,

309人、その家族3,364人、炭鉱従事者以外が319人、合計4,992人と報告されています。鉱員以外を単純に時間と場所で割
っても1時間あたり184人平均の計算になり、相当な混雑ぶりが想像できますが、このことが島民のコミュニティーの強さをを深める要 因でもありました。

■ 室内浴室 ■


  室内個別の浴室はその歴史を通して、高台の最頂部に立つ高級職 員アパート(3号棟)だけに設置されました。これは昭和32年( 1957)の海底水道の開通により、それまでと比べて破格に水の 確保が容易になったことに由来しますが、浴槽はコンクリート製で 施工時に同時に作り込んだものなので、今から思うとあまり入り心 地が良さそうにはみえません。タイル貼りの広々とした共同浴場( 下)の方がはるかに心地よかったのではないでしょうか。

  因みに島内で最後に建設された建物(13号棟・教職員アパート)

にも、その間取りから当初内風呂を設置するつもりだったのではな いかと思われる造りがありますが、結局実現はされませんでした。

■ 共同浴場 ■


  住宅棟地域には4箇所(8号棟1階、 31号棟地下、61号棟地下、66号棟 地下)の共同浴場がありました。画像は 高台に立つ職員アパート(8号棟)の共 同浴場で、男湯と女湯ともに綺麗なタイ 貼りと大浴槽の他に上がり湯槽がある造 りは、61号棟地下の浴場にも共通する ものですが、独身寮(66号棟)の浴槽 はコンクリート製の四角いシンプルなも のでした。
  住宅棟側にある共同浴場は、女湯の浴 槽の方が広い造りになっていますが、こ れは、男子は主に鉱業所内にある浴場を 使用したためです。


8号棟女子浴場。L字型で男子のものより広い浴槽



8号棟男子浴場。長方形で女子のものより狭い浴槽


66号棟地下共同浴場



31号棟地下浴場
写真は<lon-sin>さんに提供して頂いたものです


61号棟地下共同浴場

■ 鉱業所浴場 ■


  灼熱の地底労働から上がってきた鉱員 は汚れも激しいので、住宅棟地域の風呂 には行かず、鉱業所内に設置された風呂 に入りました。
  風呂は事務所棟の中に2カ所あって、 この場所は坑道から上がって最初に地上 に出るところのすぐ近くにあたります。
  浴槽は大きく2つあって、まず最初の 浴槽で服ごと下洗いし、その後隣の浴槽 へ移動するという入浴方法でしたが、最 初の浴槽は常に真っ黒でした。
  またお湯は、直接供給されるのではな く、ボイラーの高温水蒸気と冷水を浴槽 の直前で混合する事によって、供給され ました。

 
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