■ 病院 ■


  明治から大正期にかけては、トイレの衛生面(『昭和のタイムカ

プセル』で詳細解説)に起因する赤痢を中心とした伝染病の治療に、

そして海底水道開通(『海底の生命線』で詳細解説)以降は坑道内 で怪我をした鉱員達の外科的処置及び塵肺(石炭の掘削の際にでる 細かな粒子を吸い込むことによっておこる病気)の治療がおもな役 割だった<端島病院>は、小さいながら総合病院でした。
  1階には診察室、手術室、X線撮影室があり、2〜3階は病室、 4階は医師と看護婦の宿舎がありました。

  院内にはX線撮影機が確認できるだけでも3機残存していますが、 塵肺をはじめ肺の健康にはことさら注意が払われたのだと思います。

 
 
69号棟

■ 外勤詰所 ■


  外勤詰所とは三菱の管理部の出張所の様な場所で、そのため場所 も島内で最も人通りが多くまた商店も密集している場所(日給社宅 の角や映画館の前など)に造られていました。
  元来詰所は炭鉱労働が納屋制度であった時代に、鉱員のケツワリ (脱走や逃亡)を監視するために設置されたものでしたが、島内で のいざこざなどは派出所(<公共施設>で解説)が必要となるレベ ルの前に、だいたいはこの詰所で解決されたそうです。
  この室内は緑色に着色されていたのだと思いますが、天井部分に

その痕跡がみてとれます。(島内の緑色塗装に関しては『緑なき島』 で詳細解説)

  また他の商店跡では見ることのないフライファンが天井に残って います。
 
日給社宅

■ 賃金支払窓口 ■


  賃金の支払窓口は国内最古のRC造アパート(30号棟)1階の 東角にありました。旧来は、閉山時スナック白水苑があった25号 棟の1階にありましたが、その後老朽化と島民減少のためにあまり 使用されなくなった30号棟の1室へ移転したもので、閉山時まで この場所が使われました。過酷な坑内労働にたいする賃金の喜びは またひとしおだったと思います。
 
 
 
 
 
 
30号棟

 
▲ page top

ナノシティ

プロローグ <図>施設所在地 公共施設 会社関連施設 社寺 運動施設 公園 宿泊施設 各種商店 娯楽施設 その他の施設