■ 体育館 ■
閉山間際の昭和45年(1970)に完成した、島内では最後に
建設された建物がこの体育館(71号棟)でした。元来社立の武道
館兼体育館が外海側の堤防沿い(閉山時51号棟)に建っていまし
たが、昭和34年(1959)の台風14号の猛威で崩壊し、この
位置に新設されることになりました。
労働組合の大会や集会ホールとしてなど、生徒達の体育館として
の役割以上に多目的に使われました。1階には武道場と給食センタ
ーがあります。
天井が鉄板のため、やはり潮害による腐食が激しく、現在では殆
ど残っていない状態になっています。
71号棟
■ グランド ■
島の北端に位置する、島内で最もまとまった広場だった学校のグ
ランドは、生徒の使用は勿論、会社の運動会、メーデーの集会、児
童や生徒の遊び場など、本来の役目を遙かに越えて使用されままし
た。
閉山も近い昭和45年(1970)には、三菱操業100年記念
運動会も開かれましたが、この時の立て看板は今もグランド横の鉱
員アパート(65号棟)の1階に残っています。
グランドを囲む高いコンクリートの壁面にはモザイクタイルの大
きな作品が2面、今も綺麗に残っています。
グランド
■ テニスコート ■
グランドの横にはテニスコートも一面ありました。クレーコート
で、ラインは塩化ビニールに鋲うちしたもので、ネットポールは木
製でした。コートがクレーだったため、現在では夏場になると一面
鬱蒼とした植物に覆われますが、草が枯れる秋を過ぎると、埋もれ
ていたラインやポールが確認できるようになります。因みにポール
が鉄製だったら、潮害で遙か以前に跡形もなくなっていたかもしれ
ません。
テニスコート
■ プール ■
昭和33年(1958)島の南端に建設されたプールは<南部プー
ル>と呼ばれ、海水プールでしたが、プールの水に海水を使用する
のはこの地域の炭鉱では通常のことで、長崎県の北寄りにある同じ
三菱経営下の崎戸炭鉱のプールも同様に海水プールでした。
画像の奥には幼児用の小プールもありましたが、現在ではもはや
確認できません。冬場は水の入っていないプールでソフトボールな
ども行われました。
海水プール
■ 弓道場 ■
建物の屋上(日給社宅・19号棟)の端に建てられていた弓道場
は、木造のため現在では殆ど崩壊し、木片が残るばかりになってい
ますが、昭和10年(1935)に火災で神社が焼失し、この建物
を仮社殿にして山神祭が行われました。当時の写真を見ると鳥居ま
で設置し、仮宮にしては本格的な造りでした。
日給社宅