■ 飲食店 ■


  南部寄りの職員アパート(25号棟)の一階に<白水苑>という 島内唯一のスナックがありましたが、ここはかつて町役場支所だっ たり賃金支払窓口だったりした所でもありました。画像は入り口近 くに落ちていた看板の一部で、ちょうど「水」の文字の一部が見え ますが、その隣に「喫茶部」と書いてあります。恐らく2階にあっ た旅館<清風荘>の喫茶部門ということでしょう。
  当時の写真を見ると所謂モダーンな照明があしらわれた、お洒落 な店だったようですが、現在では積み上げられたビールケースとだ るま(サントリー・オールド)の空き瓶以外なにもありません。

  ちなみに2階と1階は入口と反対側の内階段で繋がっていますが、 このビルにとってはこれが唯一の内階段です。

 
25号棟


  スナックの他にも食堂や居酒屋がありましたが、これらは主に日 給社宅の1階に集中していました。
  元来、会社の厚生施設食堂だったことからその名がついた<厚生 食堂>(画像)は5棟並ぶ日給社宅の真ん中の棟(18号棟)の1 階、その奥に一般の食堂、隣の棟(17号棟)の1階に麺類を中心

に出す<宝来亭>、居酒屋は日給社宅の一番北よりの棟(16号棟)

の1階にあったほか、国内最古のRCアパート(30号棟)の4階 には松尾工務店食堂もありました。
  しかし戦後は家電の普及も相まって、家庭を持つ鉱員は、家での 晩酌が殆どだったそうです。
 
 
日給社宅

■ 販売店 ■


  島内には沢山の商店がありましたが、最大のものは端島購買会(

59、60号棟の地下・画像)です。市価より安く、日用雑貨全般 に渡っての品揃えで、当時の写真をみるとかなりの規模のものだっ たことが伺えます。
  また生協もいくつかありました。島内最大の鉱員アパート(65 号棟)と隣の鉱員アパート(57号棟・ひとつ下画像)の間には木 造の生協市場があり、おもに生鮮食品を扱っていました。閉山後も アーケード状のこの売場は残存していましたが、その後の失火によ り全焼し、いまでは更地になってしまっています。また木造2階建 ての端島消費生活協同組合売店(21号棟と22号棟の間)もあり ました。
 
 
 
 
 
25号棟  


  島内にはかなりの数の個人商店もありましたが、その殆どが生活 用品を取り扱うものでした。質屋・書店・酒屋(16号棟)、食料 品店(20号)、酒屋・電器商・雑貨店(51号棟の1階)、日常 食品店(30号棟の1階)他、牛乳・新聞販売店(映画館横)、青 空市場(30号棟の堤防側)等、沢山の商店がありましたが、これ らの商店は総てメイン・ストリート沿いの1階に設置されていまし た。57号棟の一階にあった商店は、2階が住居になったメゾネッ ト・タイプでした。(画像)
 
 
 
 
57号棟

■ 理容室・美容室 ■


  島内には理容美容室が一件、理容室が一件ありました。
  会社の厚生課が運営する理容美容室は鉱員アパート(65号棟)
の地下にあり、かなり広いもので、約三分の二が理容室、三分の一
が美容室になっていました。内陸でしかも地下な為、現在でも椅子
やパーマ用お釜が殆ど当時の状態で残存しています。(画像)
  もう一件の理容室は南よりの鉱員アパート(31号棟)の1階に ありました。こちらは、波浪の直撃を受ける場所でもあるため、椅 子などが押し寄せられ、室内の損傷もかなり進行しています。
 
 
 
 
65号棟

■ 商店街と青空市 ■


  住宅棟地域の中でも最もビルが密集している場所は<端島銀座> と呼ばれ、一大商店街を形成していました。
  生活物資は長崎からの<野母商船・平戸口丸(130t)>、
<三菱社船・夕顔丸(300t)>、高浜からの<チャッカー船・ 大洋丸(30t)>によって運ばれ、連日端島銀座には青空市が開 かれ沢山の人出で賑わいました。端島では高いものから売れるとも いわれ、生活水準の高さが伺えますが、また同時に生花もよく売れ たということです。<緑なき島>(『緑なき島』で詳細解説)とい われた島に住む人達の、無意識の渇望だったのだと思います。
 
 
 
端島銀座

 
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