鉱山研究会主催の鉱山や炭鉱の映像を見る上映会が開催されます。
常に貴重な映像を上映され、鉱山や炭鉱を知るにはとてもよい上映会ですが、
19回を迎える今回は、端島特集ということで、
オープロジェクトも参加させて頂く事になりました。
▼上映予定▼
◆西村暉希製作「軍艦島 思い出の島“端島”を訪ねて」
閉山まじかに端島を訪れた個人の方が8mmフィルムで撮影された素材を、
自主的に編集された、過去メディア関係で一切未発表の作品。
子供達の声が響き、鉱業所が稼働する様子を捉えた、貴重な映像は必見です。
◆オープロジェクト製作「軍艦島 FOREST OF RUINS」
この掲示板をご覧になる方の中には、既にご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、
2004年にオープロジェクトが発表したDVD。
まだご覧になっていない方は、この機会に是非どうぞ。
◆足尾研究会製作「石炭と人間の匂いを求めて」
上映会を主催されているスタッフの方が、2002年3月に撮影された端島の探索記録的な映像。
鉱山・炭鉱を熟知された方の映像だけあって、
的確に対象を捉えた映像が、端島炭鉱を明確に浮き彫りにしています。
◆その他、過去にメディアで放映された番組の中から、端島の概説的な内容のもの、
そして炭鉱の閉山とその後の再就職という、炭鉱が抱えた社会問題を浮き彫りにした作品などを上映予定。
◆オプション「端島鉱業所概説」
そして、鉱山研究会の上映会という主旨を考慮し、
オープロジェクトが撮りためた鉱業所の映像をご覧になって頂きながら、
あまり語られる事のない端島炭鉱の鉱業所の解説も行います。
★お時間のある方、ご興味のある方は是非ご参加下さい。
鉱山研究会・第19回 鉱山の映像を観る会
『端島(軍艦島)特集』
日時:2008年5月17日(土曜日)17:30〜21:00
場所:渋谷区立勤労福祉会館 2F 第2洋室
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kinro.html
参加費:無料(先着申込制)
詳細は以下をご覧下さい。
http://www2.odn.ne.jp/ashio-kenkyukai/jyouho.2.html#eizounokai
お申し込み方法およびメイルフォームも上記ページにございます。
※人数に制限がありますので、参加ご希望の方はメイルでお申し込み下さい。
人数が一杯になり次第締め切らせていただきます。
端島の上映会、締め切り迫る! 管理人 - 2008/05/08(Thu) 20:20 No.3778
おかげさまで多くの方にお申し込み頂いた『端島(軍艦島)上映会』
会場はまだスペースに余裕がありますが、
モニターのサイズを考慮し、
ご覧になれない方がいないようにと定員を設定させて頂きました。
まだ定員には若干余裕がございますが、
今後お申し込み頂く方々には、
モニターがやや見にくい席になる可能性もございますので、
それをご検討の上、お申し込み頂ければと思います。
お世話になっております。
H2年に撮った小中学校横の護岸の写真です。
左に人物の服が写ってるのは御容赦を・・。
もうこの時点でかなり護岸の崩壊が進んでいたんですね。
も一枚(以前も張りましたが・・)貼ります。
Re: 学校横護岸写真 端島支所下っぱ用務員 - 2008/05/11(Sun) 13:02 No.3780
学校横護岸に近づいた写真です。
写真を撮った翌年、H3年9月に台風19号により護岸決壊、翌年H4年に現在のように工事がなされました。
おそまつでした・・・。
Re: 学校横護岸写真 管理人 - 2008/05/14(Wed) 00:37 No.3781
▼用務員さんへ
今週もご投稿ありがとうございます。
体育館の屋根はもとより、扇風機室に屋根が綺麗に残っているのがわかります。
貴重なお写真ですね。
また2番目のお写真ですが、以前ご投稿頂いたものと随分発色が違って見えます。
再スキャンされたのでしょうか。
また以前より大きいので、すべりの崩壊具合がとてもよくわかります。
ありがとうございました。
はじめまして。
このホームページにとっても感動しました!!軍艦島の事は以前、テレビの報道などで知っていましたが単なる廃墟だというイメージしか持っていませんでした。
このページを拝見しまして、イメージがガラリと変わりました!!素晴らしい島なのですね。一般公開の機会があれば、是非!という気持ちです。
このページに出会えて良かったです…
あと、このページで使われている音楽は、一般に入手可能でしょうか?サントラCDとかありますか?
Re: 感動しました!! 管理人 - 2008/05/07(Wed) 00:00 No.3776
▼かなこさんへ
軍艦島オデッセイをご覧になって頂き、ありがとうございます!
端島は廃墟としてもとても魅力的な場所だと思いますが、
それ以上にここに残されているものや歴史は、
とても素晴らしいものばかりだと思います。
勿論「素晴らしい」というのは、良いことばかりではなく、
歴史の明と暗、両方がまるごと詰まっているという意味ですが。
一般公開はまだ正式には決定していないようですが、
その時がきたら是非ご覧になることをお薦めいたします。
ところでサイト内にアップしている音楽ですが、
既に多くの方々からCD化のお話を頂いているのですが、
まだCD化はされておりません。
CD化しましたら、掲示板でお知らせさせて頂きますので、
時々掲示板をご覧になって頂ければと思います。
画像は高台にある社宅に残るダストシュートです。
いまでは珍しい木製の扉ですが、
こういった昭和の生の生活状態が沢山残っているのも、
端島の最大の魅力の一つだと思います。
「東京ビッグサイトで写真展開催」
5月21日〜23日 詳しくはこちらから
http://www.gunkanjima-wh.com/bigsite.pdf
Re: 軍艦島を世界遺産にする会 管理人 - 2008/05/02(Fri) 16:46 No.3769
▼doutokuさんへ
ビッグサイト写真展の告知をありがとうございます。
こちらでも補足させて頂きます。
『第14回建築リフォーム&リニューアル展』@ お台場ビッグサイト
主催:建築リフォーム&リニューアル展組織委員会
共催:(社)東京建築士会
http://www.rrshow.jp/
内にて「軍艦島写真展」が開催されます。
写真展は会場内の最大ブース「マンション改修村」(小間番号16)
の向かいに特設会場を設営し展示されます。
◆『1972 青春 軍艦島』の大橋氏の写真展示
◆『軍艦島〜失われた記憶を求めて〜』でおなじみの村里氏の写真展示
◆『軍艦島実測調査資料集』からの図面展示
◆1/250の模型展示
◆端島の大きな石炭の実物展示
◆軍艦島の映像上映
などが予定されています。
平日ですが、ご興味のある方は、是非ご来場ください☆
なお『第14回建築リフォーム&リニューアル展』のサイトから、
招待券を入手できますので、観覧ご希望の方は、そちらをお持ち頂くことをお進めします。
▼
http://www.rrshow.jp/rrticket/index.html
軍艦島オデッセイを拝見してから、すっかり軍艦島の虜になってしまいました。
音楽を聞きながら軍艦島の写真を見るのが日課になってます。
5月17日の端島の上映会にも行かして頂くことになりました。
今からとても楽しみです。
Re: はじめまして! 管理人 - 2008/05/01(Thu) 07:24 No.3763
▼大波小波さんへ
軍艦島オデッセイをいつもご覧になって頂き、ありがとうございますm(_ _)m
さらに5/17の上映会をお申し込み頂き、重ねてお礼申し上げます。
もしかしてN.O.さんでしょうか?
でしたら主催者の方からうかがっています。
5/17にお会いできるのを楽しみにしております。
画像は端島炭鉱の鉱業所に今も残る、
第二主要扇風機室跡です。
オレンジ色の壁がとても綺麗な部屋ですが、
扇風機室とは炭鉱の地下坑道内の空気を、
一年中休むことなく循環させ続けていた施設のことです。
掘り進んだり、掘り出したり、は休むことがあっても、
決して休むことはなかった扇風機。
そして奥に見えるのが風道とよばれる空気の出口です。
地下1000m以上の地底で働く沢山の人たちの命を守ったとは思えない、
とても小さな施設です。
Re: はじめまして! 大波小波 - 2008/05/01(Thu) 20:47 No.3766
▼管理人様
はい、その通り、N.O.です!
私もお会いできるの楽しみにしてます。
素敵なお写真ありがとうございます。
仕事中に拝見して、ついうっとりしてしまいました(笑)
廃墟なのに、芸術的な美しさを感じます。
それが軍艦島の魅力の一つですね。
Re: はじめまして! 管理人 - 2008/05/02(Fri) 16:24 No.3768
▼大波小波さんへ
N.O.さんでしたね!
間違えてなくて、よかったです。
今は廃墟になっているので、複雑な光と影が生まれ、
撮影すると幻想的な雰囲気にはなると思います。
操業時の逞しい姿とは別に、
現在の光景もまた魅力的だと思います。
長崎から
どれくらい
時間が
かかるのですか
Re: こんにちわ 管理人 - 2008/05/02(Fri) 16:20 No.3767
▼匿名さんへ
軍艦島オデッセイをご覧になって頂き、ありがとうございます。
長崎からは船だと、40〜50分位だと思います。
また自動車でも、道の込み具合によりますが、同じ位ではないでしょうか。
画像は長崎市の稲佐山公園にある軍艦島の解説陶板です。
晴れている日は、稲佐山公園からも見えるそうです。
お世話になっております。
今日4月20日は端島が無人島になった日ですね。
34年前の1974年(s49年)4月20日(土)、
午後4時50分発の端島発高島経由長崎行の野母商船つや丸の便を最後に端島ー高島航路は閉鎖されました。
4月20日以降完全に無人島になり人の出入りが無くなったかと言うとそうではなくて住んでいた方々は端島から全て退去されましたが鉱業所関連や高島町役場の方達がしばらくの間は高島から船で渡り(定期船は当然無いので小船や中規模の船で)残務整理等で端島に渡っていたそうです。
鉱業所の撤去作業もS50年1月までかかったと聞いています。
ひとつの町が無くなるというのは住民が去ってしまえばハイおしまいというわけにもいかない大変な後始末があると言うことですね。
まして端島のような複雑に入り組んだ住居や炭鉱施設ならなおのこと大変だったと思います。
写真は現役中のドルフィン桟橋です。
撮影年月ははっきりはしませんが小中学校体育館がまだ建っていないようなのでS37年以降S45年以前と思われます。 おそまつでした・・・。
Re: 端島無人島から34年 管理人 - 2008/04/26(Sat) 06:34 No.3760
▼用務員さんへ
鉱業所の撤去には約1年もかかったんですね。
やはり陸地ではないので、搬出も大変だったんではないかと思います。
「住民が去ってしまえばハイおしまい」とまではいわずとも、
端島は他の産炭地に比べれば、そういう性格は強いんではないかと思います。
おかげで、住宅棟側だけでも貴重な遺産が残ってくれたんだと思いますが。
現役時代のドルフィン桟橋の様子をありがとうございます。
確かドルフィン桟橋が完成した昭和37年 (1962) に、
夕顔丸、屋島丸、高島丸、宮島丸が廃船になっていると思いますが、
これはドルフィン桟橋の落成と関係があるんでしょうか。
(単純にせい丸、つや丸が就航したからかな?)
ともあれ、せっかく艀から上陸しなくてよくなった矢先の、
社船の廃船は、心残りだったんではないかと思いました。
春になり、桜も散り、島でも、花が、咲いて、いました。
山道あたりを、歩くと。お世話を、シテル、おじさんが、
いました。石本さん・・・知り合いの、お父さんでした。
子供たちの、楽しみでした。花を、見たり、名前を、聞いたりが・・
Re: 無題 管理人 - 2008/04/11(Fri) 13:54 No.3757
▼mieharuさんへ
山道にはお世話をしてくれるおじさんがいらっしゃったのですね。
当時も山道には花が沢山咲いていたのでしょうか。
当時の山道の写真は、どれも日が当たっていて、気持ち良さそうに感じます。
画像は道の途中にあった祠跡です。
雑草が殆どですが、今ではとても緑が育っています。
お世話になっております。
51号アパートの(階数は忘れました・・)住居内の台所を撮った写真です。
人造石研ぎの流し台。その横にカマドと端島高島に共通した炭住アパートの造りです。
用務員めもこの51号アパートの台所を見ると故郷高島の炭住アパートを思い出します。
おそまつでした・・・。
Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/03(Mon) 12:04 No.3732
▼用務員さんへ
今週も写真投稿、ありがとうございます。
高島のアパートも同じような造りだったんですね。
竃の右下に転がる石は、漬け物石でしょうか。
それにしては少し小さいような気もいたしますが。
Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/09(Sun) 02:52 No.3733
お久し振りです。
北海道も日差しにようやく春の気配が感じられるようになりました。台所といえば、先日、生活廃水の排水管が詰まり、逆流したため、雪と土を掘り、ちょっとした運動でした。
ところで、この写真、随分状態が良く見えますが、いつ頃でしょうか。差し支えなければ。
また、今もこの程度で残っているのはどのくらいの割合なんでしょうね。
当市(芦別)の三菱関係は住宅や事業関係の建物も若干残っていますが、三井関係の殆ど一切は、撤去されてしまい、痕跡が所々に見られる程度になってしまいました。私は末期を垣間見てますが、子供らは殆ど知らず、石炭が何なのかすら、伝聞でしかなく、旧産炭地(今でも露天掘り数箇所)としては情けないです。
Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/11(Tue) 04:41 No.3734
▼Masaoさんへ
おひさしりでございます。
北海道も春の兆しですか!
東京も最近春の気配を感じる様になりました。
北海道の春はもっと遅いのかと思っていましたが、違うんですね。
排水管の工事はお疲れ様でした。
サイト内で告知させて頂いた山名さまの情報募集ですが、
残念ながらまだ連絡はありません。
最近では端島ご出身の方にもサイトをご覧になって頂いているようなので、
もしかしたらご存知の方がいらっしゃるかと思ったのですが。
引き続き告知は出させて頂きますので、
連絡が入り次第、お知らせさせて頂きます。
さて51号棟の様子ですが、
ご投稿頂いた端島支所下っぱ用務員さんが書かれていないのでわかりませんが、
用務員さんがいつもアップして下さる写真は、
だいたい平成7年〜平成10年くらいですので、
この光景もその頃ではないでしょうか。
51号棟という建物は不思議な建物で、
防潮を兼ねた建物として、外海側の堤防ギリギリに建てられているにもかかわらず、
室内は結構奇麗な状態で残存していますが、
理由としては、海側の2重窓の造りが考えられます。
従来の防潮を兼ねた建物は海側に廊下を設置する事で、
波浪の被害が室内へ及ぶのを防ぐ造りでしたが、
この建物は海側に居室を設置するかわりに、
窓を小さくし、窓の内側に縁側を設け、さらに内窓をもう一つ設置してあります。
台風時の波浪が堤防から高く舞い上がり、
分厚い波の壁として建物を叩き付ける映像を見た事がありますが、
あの波しぶきの猛攻撃を浴び続けてもなお室内が奇麗なことを考えると、
この2重窓は想像を超えて精巧に作られているのかとも思います。
掲示板に幾つか51号棟の様子がアップされていますので、
あわせてご覧になってみてください。
投稿番号
3701 [1]:真っ白な壁と電気メーター
3422 [8]:ポスターが奇麗に残る襖と足付きステレオ
175, 174 [24]:室内とベランダ
※[ ]内の数字は今日付けのページ番号です。
芦別は頼城小学校にちょっと寄っただけで、
産炭地の見学はしていないので、
次回北海道へ行った際には、是非とも訪れたいと思います。
メディアでは、北海道の産業遺産ツアーが人気
といった話題を目にしますが、
それも一部の限られた情報なのかとも思います。
石炭に限らず、日本を造り上げ、日本をささえた20世紀の産業を、
知ることなく育ってしまう子供達は、
ある意味不幸かもしれないと思います。
古代史を知るより、はるかに知る意味のある時代だと思います。
Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/12(Wed) 23:12 No.3740
ありがとうございました。
山名氏の件は「想像と記憶」にもお願いしています。
彼の一年先輩とは連絡取れたらしいですが、同期とはまだのようです。パソコン世代ではなく、端島HPも少なくないようで、意外に見られてないのかもしれませんね。
山名もHPのことは知らなかったですから。
頼城小学校に来られましたか。
山名は5年生の秋に頼城小学校に転校し、そこを卒業してます。
現在の頼小校舎は彼が確か6年生の時に火災に遭った校舎の再建として、焼失しないようにと造られたものですが、その出火については彼の学級が出火元付近と推定され、当日の石けんを作る授業で使った苛性ソーダ等が原因と疑われたらしいです。しかし、出火までの時間から、結局は漏電らしいという結論になったとのことです。
「想像と記憶」BBSに書いた「芦別物語」を見ると往時の当市の産炭地をいくらか想像する事が出来ます。
芦別五山と言われ、市章にも反映していますが、それらは上芦別にあった三菱を除き、殆ど撤去されてしまい、市内の産炭地の痕跡はとても少なくなってしまい、炭鉱も数箇所の露天掘りを残すのみになりました。また、国鉄、三菱、三井、森林鉄道と4系統あった鉄道も旧国鉄一本になり、それも石勝線開通に伴い、普通列車だけになりました。
頼城の立坑を芦別市に譲る話があったけど、維持費を嫌って市は断わったとも聞きました。空知の旧産炭地の現在の財政難を鑑みると必ずしも間違いとも断言できませんけれども...。
51号棟の二重窓は興味深いですね。
北海道の住宅の殆どは防寒用二重窓ですが、ガラスの厚みもかなり違うでしょうね。
現代史や郷土史は確かに重要ですね。
歴史は現代から過去に進むのが良いという説もあり、右翼は嫌がるだろうけど、興味の流れからは、その方が良いような気もします。
Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/14(Fri) 03:45 No.3741
▼Masaoさんへ
お返事ありがとうございます。
山名さんは頼城小学校のご卒業だったのですね。
そして学校火災の火元としてクラスが疑われるという事件もご経験されたのですね。
あの有名な校舎が建てられる裏に、そういったエピソードがあったとは知りませんでした。
勉強になりました。ありがとうございます。
現在は通信大学として使われているのでしょうか。
ともあれ校舎(と体育館)は残ってほしいものだと思います。
産炭地は、ともすれば東京よりも劇的な変化をしたところが沢山あると思います。
全盛期の産炭地で育った方々の多くは、
思い出の場所がどこにもないご経験をされているのではないかと思います。
産炭地の現状を耳にするたびに、
人より企業が優先される時代だったという事を痛切に感じます。
> 歴史は現代から過去に進むのがよい。
という説があるのは知りませんでしたが、
最近教育関係の話をした時に、ふとそんな事を思いました。
現代から遡れば多くの出来事の意味がわかると思います。
ところが大昔から始めると、殆どが意味がわからずに進む事になると思います。
Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/14(Fri) 15:03 No.3743
そうです。
頼小は通信大学の本部として使われているようです。
体育館と校舎は北海道か国の文化財指定を受けました。
疑問は、あの校舎へ2500人が登校するときはどこからどう入ったのかということで、
経験者に尋ねても合点がいきません。
産炭地の変化は劇的ですが、グラフにすると正規分布みたいな1ピークで、
それは再生産できない産業としては止むを得ないことです。今好景気の産油国はどうなるんでしょうね。
世田谷の用賀に7年半住んでましたが、東京の変化は持続的で輻輳、重層するので、
見方によっては一過性が多い炭鉱町より掴みにくいでしょう。
この辺りは、建物が無くなっても地形の多くは残るけど、人口密集地だと、
それも崩れていきますから。
そうは言っても、昔住んでいて、数十年ぶりに尋ねてきた人にとって、
衝撃的なことは確かですけど。
その点、端島は今後の整備の仕方によっては、ある程度構造物が残るだろうから、
マシかもしれません。
数十年して東京、大阪が温暖化で水没する頃には、ここの人口も増えると踏んでます。
Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/15(Sat) 10:23 No.3745
▼Masaoさんへ
頼城小学校は、国登録有形文化財に指定されているようですね。
体育館も一緒に指定されているのに驚きました。
あの体育館も相当古いものなのでしょうか。
産炭地と産油国には大きな違いがあるような気がいたしますが、
その違いは、資本の場所ではないでしょうか。
産炭地の場合は、いわばアメリカが中東に乗り込んで仕切りを入れたような状態だったために、
結局富が土地にとどまる事がなかんたんではないかと思いますが、
いかがでしょうか。
中東の産油国の場合は権利を自分たちが持っているので、
今、彼らは22世紀を見据えて、莫大な財力を観光等につぎ込み始めたと聞きます。
ドバイのパームツリーアイランドなどはその例ではないでしょうか。
常磐炭鉱のような変化は、産炭地のひとつの理想的な形だとも聞きますが、
どの産炭地も同じ様にできない理由があったのも事実だと思います。
おっしゃるように東京や産炭地に比べると、端島は故郷がそのまま残っていますが、
なくなってしまえば、思い出の形で残り続けるというお話を聞いたるすると、
それもそうだな、と思ってしまします。
それはそれでまた考えさせられますね。
> 数十年して東京、大阪が温暖化で水没する頃には、ここの人口も増えると踏んでます。
今から少しずつ準備しようかと思います。(^ . ^
画像は頼城小学校へ訪れた時に撮影した体育館です。
今思えば、もっとしっかり見学しておくべきだったと思います。
(なくなったわけではないので、また見学にいけばいいんですが)
Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/15(Sat) 16:24 No.3746
頼小の体育館も一緒に燃えて、現在のはレンガ校舎と一緒に建てたとの事です。確か三井が改築費も全額出しているように聞きました。
場所も前のは校舎に向かって右だったそうです。
20年近く前に閉校になった夕張市の小学校の体育館が雪の重みで倒壊したという記事がありました。
体育館が雪に強いとは思えないので、それが心配ではあります。
確かに資本集積場所の問題はその通りですが、観光やショッピングセンターではどうなんでしょうか。
常磐ハワイアンセンターは例外事象だと思います。
もっとも、だからと言ってそこに住んでいる人がどこにも存在しなくなるということではないし、
中東産油国は元の砂漠の民に戻ればいいことですけれど。
金融業で稼いでいる地域も何箇所かありますが、保守的でもやっぱり一次、二次産業かなと思います。
国際競争の問題はありますけども。
観光用ではないけど、エジプトのピラミッドはすごいですよね。
大した維持管理費がかかっないだろうに、世界を股にして稼いでいるんでしょうから。
それと比べると現代建築は脆弱なんですね。
Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/28(Fri) 01:51 No.3749
▼Masaoさんへ
そうですか、体育館も煉瓦校舎と同じ年齢だったんですね。
体育館は木造のようなので、確かに雪の重みは気になるところですね。
> 常磐ハワイアンセンターは例外事象
確かにそうかもしれません。
> 保守的でもやっぱり一次、二次産業かなと思います。
時間がかかっても、最も地に足をつけた形で復興、
ということですね。
エジプトのピラミッドと言えば、
先日旅行会社の新聞広告で見たのですが、
今は入場制限をしているそうです。
それだけ普遍の人気があるのかと思います。
おっしゃるように維持費も、
1年中何らかの改修を行っている法隆寺とかに比べると、
それほどかからないと思います。
石造建築は凄いですね!
Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/29(Sat) 20:39 No.3751
表題とは関係ないですが、頼城小学校の閉校記念誌が芦別物語でupされてます。
Topの左上の更新を押すと上の方にあります。
旧校舎の焼失が昭和28年で、その前の校舎の一部や現校舎の俯瞰や体育館の内部等が載ってます。
今年も日本中で400校位閉校らしいですね。
なんか寂しいですね。
原油高で北海道電力が石炭の増産を要請しているとの事です。増産要請なんて随分久し振りでしょう。
ただ、これから坑内掘りを復活するのはなかなか大変だから、当面は露天掘りで、地形破壊が進行するでしょう。
端島にも商業ベースの鉱脈は残っているんでしょうか。
Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/04/04(Fri) 00:44 No.3752
▼Masaoさんへ
芦別物語、拝見しました。
頼城小学校の閉校記念誌も拝見しました。
お話に伺った校舎全焼の写真も掲載されていますね。
その後校舎は現在の煉瓦に。
不燃性煉瓦と書いてありますが、
体育館だけなぜ木造にしたのでしょうか。
やはり通気とかを配慮したのでしょうか。
また年表を見ると、昭和35年には給食が始まっていますね。
端島で給食が開始されるのは昭和45年なので、
それから比べると随分早いと思いました。
全国で400校、閉校ですか。
少子化の波は東京でもはっきりと判ります。
至る所で、学校が使われていなかったり、再利用されていたり。
端島も、まだまだ海底には沢山の石炭が残っているものの、
相当深度が深いため「商業ベース」の鉱脈と言えるかどうかは疑問だと聞きます。
Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/04/05(Sat) 20:50 No.3753
確かに体育館だけ木造というのもねぇ。予算の関係だとは思いますが、誰かに尋ねてみます。
もっともレンガ校舎は三井が建ててくれたと聞いたことがあります。
頼城小閉校時の大きめの写真が芦別物語に載りました。ご興味があれば。
Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/04/05(Sat) 20:55 No.3754
間違いました。今回のは頼城中学校でした。
Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/04/11(Fri) 13:51 No.3756
▼Masaoさんへ
煉瓦校舎は三井によって建てられたそうでうね。
良い校舎で勉強して、卒業したら働いてね、っていう思惑があったとしても、
いい遺産を残してくれたんではないかと思います。
芦別物語は小学校の記事に限らず、ゆっくり拝見させて頂きます。
お世話になっております。
30号7階から屋上に上がる階段より灯台貯水タンク方向を撮りました。
H8年5月撮影です。
初代灯台のサビが目立ちますね。
おそまつでした・・・。
Re: 30号7階階段より灯台方向を見る 管理人 - 2008/03/28(Fri) 01:57 No.3750
▼用務員さんへ。
今週も写真のご投稿、ありがとうございます。
30号棟最後の階段ですね。
10年くらい前は、まだ木製手摺があったんですね。
30号棟の階段を昇り降りする時に、
いつも「こんな怖い階段、よく歩けたなぁ〜」
と思っていましたが、そうですよね、手摺があったんですよね。
ところで頂上部分をみるといつも気になっていたのですが、
貯水タンクや3号棟の海側周辺の隆起した岩場
(添付のお写真だと貯水槽の下の岩肌が白く見える部分)は、
自然の岩礁の露出部分でしょうか。
それにしては随分と人工的だなぁ〜といつも思っています。