第二次産業革命の幕開けと時を同じくして始まった20世紀、また大衆社会の幕開けと時を同じくしてスタートした昭和。それは、社会 を動かす規模とスピードがそれまでと比べて破格に大きくそして速くなった<モーレツ>にダイナミックな時代でした。また原爆という人 類史上最大の負の行為が行われた時代でもありました。
  そんな激動の時代を色濃く反映した形で現存している端島。
  この島の炭鉱を知ることで、明治から昭和の工業化社会がなしえたダイナミックなパワーが見えてきました。

  この島の堤防や桟橋などに残された土木建築の高度で先駆的な技術の跡から、人がなしえる自然克服への強靱なパワーが見えてきました。

  この島の建築群を知ることで、近代日本の集合住宅の変遷がつぶさに見えてきました。
  そしてこの島に残る生活遺留品からは、記憶の中で風化しつつある前世紀の生活の様子が鮮明に甦ってきました。
  よく端島を「死の島」という表現をされているのを見ますが、閉山後約30年に渡って廃墟としての時間を積み重ねてきた端島は、今も 死んではいません。それどころか自然へ還元する緩やかな時間の裏で、日本近代化の野外博物館として私たちに多くを語りかけてきます。 静かに眠る昭和のギガ級タイムカプセルは、やがてその扉を開けられるのを今も本州最西南の海上で待ち続けているのかもしれません。


  ずいぶんとこの島に関して細かく観察してきた気がしますが、

思えば自分の住んでいた場所を公の面前に晒され、たとえプラ イベートに関することではないにせよ、こと細かく説明を加え られる感覚とはどういうものかと考えます。
  他の産業遺構に比べてこの端島という近代の産業と生活の遺 構は、常にその管理者や元住民から秘密めいた感覚すら感じる 程閉鎖的な回答を得ることが多いと感じます。しかしその質を 思い起こしてみると、それは人に言えない暗部を隠蔽する時に 感じる疎外感とは全く違った質のものに感じられます。
  これは憶測の域をでませんが、恐らくこの島の関係者が外部 の者に向ける閉鎖感は、その人達の、この島に対する強烈な愛 ゆえのものだと感じられるのは感情過多なおめでたい結論でし ょうか?
  島内の画像にはなるべく個人的な事情の解る画像を避け、主 に外観や公共的な施設を中心に纏めてはみましたが、しかしこ の島にいた人達にとっては島全体が自分の家のような感覚であ ったことを思うと、それもあまり意味のないことなのかもしれ ません。

  最後にこのサイトを制作するにあったてご協力いただいた沢 山の方々に、この場でお礼申し上げます。


対岸の高浜海岸からの端島遠望