島はその殆どが三菱の所有物であり、住宅も基本的には社宅ないし寮という考え方だったため、家賃・水道・電気・風呂総て併せて 10円(昭和34年当時の全国平均給与は29,000円)という、極めて恵まれた環境でした。昭和30年代の家電ブームの時も、 島内にはいちはやく電化が進み、朝日新聞の記事によれば昭和33年(1958)には既に100%電化生活と伝えていますが、<家 電三種の神器>といわれた白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の普及率は、昭和32年当時、それぞれ、7.8%、20.2%、 2.8%なので、いかにこの島の電化が早かったが解ります。しかもこれらの電化製品の当時の販売価格を調べると30,000円〜 60,000円位でした。つまり当時の平均月収の1〜2ヶ月分に匹敵し、相当高価な買い物だったことがわかります。また室内にの こされた茶箪笥や卓袱台といった家具類、急須や煙草盆といった生活雑貨、足付白黒テレビや一層式電気洗濯機は、総て今では見るこ ともないレトロなものばかりで、それらが閉山時の姿のまま残るこの島はまさに昭和のタイムカプセルです。

 

昭和のタイムカプセル

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