その土地の性格上、島内には入り組んだ外階段や各建物を連結する渡廊下などが縦横無尽に張り巡らされていて、島内を歩くとさながら空 中迷宮の中にいるような錯覚に陥る場所も少なくありません。これはひとえに狭い敷地をより有効に使うための工夫でしたが、それとは別に この島の本来の目的が炭鉱であったことを考えると、このような造りになるのもうなずけます。地下1,000m以上、周囲2km四方の海 底に縦横無尽に張り巡らせて造られる坑道の複雑さや、鉱業所内の地上施設の極めて入り組んだ造りが、地上での生活空間にも反映したので はないでしょうか。
  昭和37年(1962)の長崎新聞の記事に「パパは深い海の底、坊や子供は高い空の上」という表現があります。坊やが空の上というの は<屋上幼稚園>(『ナノシティ』で詳細解説)のことですが、まさにこの島は地上から屋上の隅々まで使いこなされた、まれに見る空中迷 宮都市でもあったのです。

 

岩礁の迷宮

プロローグ 階段 連絡通路網