階段とは別に、島内には様々な連絡通路が網の目のように張り巡らされていて、住宅棟の中を歩いているととさながら迷路の中にいるよ うな感覚に陥る場所が少なくありません。当時は島内の端から端まで雨の日も濡れずに移動できたとまで言われるほどです。実際に歩いて みると、勿論とぎれる所はあるにせよ、上下と左右の連絡通路網で、相当な距離を移動できることがわかりました。
  連絡通路はRCのしっかりしたものから木製の仮設的なものまで様々ですが、後付のものが多く、地理的条件に対して徐々に克服してい った時間の証でもあります。

■ 日給社宅〜51号棟連絡橋 ■


  島内の連絡網で一番目に付くのが画像の連絡橋です。右の建物( 日給社宅)と左の建物(51号棟)を各階で結んでいますが、シン プルで直線的なデザインが、島内の景観に独特の感じを与えている 連絡橋です。
  昭和36年(1961)築の51号棟が建設されることによって 日給社宅との間に作られたもので、これにより両棟の行き来が階下 まで降りなくても可能になりました。両棟とも9階建てにもかかわ らずエレベーターがないので、この連絡橋はかなり便利なものだっ たと思われます。

■ 56号棟〜57号棟連絡橋 ■


  職員社宅(右・56号棟)と鉱員社宅(左・57号棟)を繋 ぐRC造の連絡橋で、56号棟(3階建)の2階から張り出さ れて、57号棟の屋上に通じています。この様な立体的なつな がりが島内には様々な所に造られています。


  画像は左記連絡橋の一階層下の連絡橋ですが、こちらは木製 です。元来左と同じくRC造だったものが、施工の未熟さによ り崩落し、仮設的に木材で取り付けられたものです。現在でも 十分渡れそうなほどしっかりしています。

■ 25号棟〜30号棟連絡橋 ■


  島の南部寄りにある2つのアパート(25号棟・右側と30号 棟・左側)の連絡橋ですが、この25号棟は棟内に一切階段がな く(唯一1階のスナックと2階の旅館を繋ぐ木製内階段があるの み)、上層へ入るには隣の建物内の階段を目的階まで上ってその 後跨線橋を渡り、目的階へ移動したり、建物の反対側に設置され た岩礁と建物を行ったり来たりと折れ重なる外階段を使って目的 階へ移動しなくてはならないという、なんとも不思議な造りにな
っています。

■ 病院〜隔離病棟連絡通路 ■


  画像は病院とそれに付随する隔離病棟を結ぶ連絡通路です。こ の様に完全に天井があり建物の内部に組み込まれた渡廊下も至る 所にあります。一番規模の大きなものが日給社宅と呼ばれる5棟 平行に並ぶ建物を結ぶ連絡棟です。これは渡廊下というより部屋 のない建物の状態で、この大廊下棟に各建物の一端が完全にくっ つき、例えば左端の棟の最上階から一番右端の最上階に移動する 際、連絡棟に出てただ廊下を4棟分歩くだけで到達することがで きます。また堤防に向かって垂直に並んで建つ3棟の建物(59 号棟〜61号棟)は、地上でみると独立している3棟ですが、総 てが地下で繋がっています。

■ 報国寮〜学校連絡橋 ■



  島内最大の建物(65号棟)の9階と小中学校(70号棟)の7階を結ぶ渡廊下です。
  65号棟には国内初のアパートでエレベーター設置の予定があったものの結局実現せず、また学校にもエレベーターはあったものの給食用 なので、学校最上階から65号棟最上階への移動は、16階分の昇り降りをしなくてはなりませんでした。元来この連絡橋は非常用に設置さ れたものだったのですが、上述の距離を短縮するため、一時常用されていた時期もあります。
  因みに学校側は画像のように通路の突き当たりがブリッジの出入口になっていますが(画像左)、65号棟側は廊下などではなく、一般の 居室のベランダに連結しています(画像右)。

 
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